OECD、国際的な大学教育評価方法の策定に向けて

マイスターです。

「PISAショック」という言葉を聞いたことがおありでしょうか。

OECD(経済協力開発機構)による「PISA(Programme for International Student Assessment)」は、各国の15歳を対象に、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシー、問題解決を調査するもので、事実上、中等教育段階での、国際的な学力指標になっています。
「このままでは日本の教育水準は世界トップレベルではなくなる!」みたいな報道をたまに目にしますが、そういった記事が引用しているのはたいてい、PISAの結果です。

実際、日本やドイツなどそれまで世界の教育大国を自認していた国が、最近のPISAで、大きく順位を落としました。そういった国では、「わが国の教育はこのままでは良いのか!?」という議論が起きているようで、それを、「PISAショック」なんて呼んだりするわけです。

逆に、この「PISA」の結果で高得点をたたき出た結果、国際社会で一躍注目を集めた国が、フィンランド。いまや世界中の教育者や政治家、研究者達がフィンランドに視察に出かけています。書店の教育本コーナーに行けば、「フィンランドの教育から学ぶ」みたいな本が、ズラリと並んでいます。
「PISA」の影響力の大きさが、おわかりいただけるのではないでしょうか。

この「PISA」がいよいよ、大学の教育水準についても基準を作ろうと動きだしています。

【今日の大学関連ニュース】
■「OECD、大学・大学院の国際的な評価方法を研究へ」(読売オンライン)

経済協力開発機構(OECD)の非公式教育相会合が11、12日の2日間、東京・青海の東京国際交流館で開かれた。
「高等教育の成果の評価」をテーマに、これまで国際的な統一基準がなかった大学・大学院の評価方法の導入に向け、今後、OECDが研究を始めることで合意した。
会合には、30の加盟国のうち韓国やドイツなど20の国・地域の代表者が参加。OECDが主に加盟国の15歳を対象に実施している「国際学習到達度調査(PISA)」を参考にした、新たな評価方法の導入について話し合った。
その結果、OECDが大学・大学院の評価方法の導入に向け、本格的な研究を開始することで各国が一致した。OECDは、導入に前向きなスウェーデンやスペイン、韓国、日本など数か国の大学の協力を得て、2009年までに評価方法や課題などの研究を実施する。評価の対象になる専門分野としては、国際的な共通点が多い工学や経済学、自然科学などが挙がった。
(上記記事より)

そんなわけで、大学関係者にとっては気になるニュースです。
構想自体は、昨年の10月頃から報道されていたのですが、いよいよ本格的に、実現に向けて動き出したようです。
どこも、戦々恐々としているのではないでしょうか。

ただ実際には、学問分野によって求められる教育内容というのは異なります。
技術者を育てるのと、医師を育てるのと、経営者を育てるのとでは、求められるカリキュラムも教育方法も違います。当たり前ですよね。

加えて、大学によっても目指す教育成果というのは異なります。
国家を支える官僚を育成しようという大学と、ベンチャー起業家を輩出しようという大学、あるいは良質な社会人を社会に送りだすことを理念としている大学とでは、建学の精神や、目指す教育のコンセプトがそもそも違います。

こうした違いを無視して、一律に大学の教育を評価しようというのは、少々乱暴であるように思います。

さらに、国によっても大学の在り方は違います。
大学進学率も違いますし、大学の入学資格も違います。就学年数すら、3年間だったり4年間だったり、バラバラなわけです。

以上のようなことを考えると、個人的には、大学教育においては、「PISA」のような世界基準をつくるのは、ちょっと難しい気もしています。

ところで大学の教育水準を評価する統一基準を作るというのは、以前から議論されているテーマです。
日本でも、経済産業省の「社会人基礎力」や、文部科学省の「学士力」など、大学で学んだ成果を評価するためのモノサシづくりが、ここ数年で活発になっています。
ただ、どれも今のところ、「決め手に欠ける」という印象はぬぐえません。

■「社会人基礎力に関する研究会「中間とりまとめ」報告書の公表について」(経済産業省)
■「学士力を中教審が定義 大学卒業に厳格な認定試験も」(読売オンライン)

経済産業省の「社会人基礎力」はその名前の通り、経済界からの視点で大学教育を見たときの、基礎的なスキルを測ろうというものです。
悪い内容ではないのですが、個人的には、大学教育の本質とはあまり関わっていないような気がします。

文部科学省の「学士力」も、基本的には「社会人基礎力」と同じような指標です。
そもそも、大学ごとに個性化を図れと号令をかけている文科省が、大学教育の「正解」のようなモデルを発表すること自体、なんだかちょっと矛盾しているように感じなくもありません。

今回のOECDによる評価方法というのは、影響力の大きさという意味では、上記の二つよりも上。
ただこれも、結局のところ大学のランキングにつながるだけじゃないか、という感じはします。

ちなみに10月の時点で報道されたときには、以下のように報じられていました。

制度や進学率の違いが大きいため国ごとの比較は当面は困難で大学や学部ごとに評価した方が良いという点や、調査は学部課程の修了段階がふさわしいとの点で合意。調査する学力としては、(1)分析的推論力や批判的思考力など、専攻を問わず必要な能力(2)専門分野に特定される能力(3)責任感やリーダーシップなどの「対人能力」が挙げられている。
(■「大学評価へ国際調査 基準づくり OECD検討」(Asahi.com)より)

学士段階ではリベラルアーツを教え、専門は大学院段階で教えるケースが多いアメリカの大学。
学士段階から専門分野を学ばせることが一般的な日本の大学。
このように、各国の大学教育にはそれぞれ特徴があります。

そんな中で、世界的な統一基準をつくろうとしたときに、政治力によって、特定の国にとって有利になるような評価基準を作られてしまう恐れだってあります。

それに、質の基準を作ること自体にはマイスターは反対ではありませんが、強引に基準を作った結果、大学の多様化が阻害されてしまったりするのは避けて欲しいです。
OECDの方針は強い影響力を持っているだけに、そのあたりがちょっと心配でなりません。

個人的には、どのような評価基準であっても、「大学教育は多様だ」という前提の上につくられたものになることを願います。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。