ハンガリーに医学留学する方が急増中?

マイスターです。

ちょっと興味深いサイトを見つけました。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「ハンガリー医科大学事務局」
http://www.jasac.com/med/index.html
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全ページ日本語で書かれていますが、こちらはハンガリーの国立大学が共同で開設している、日本人向け留学情報サイトなんです。

ハンガリー共和国の3大学の医学部が、日本からの学生を積極的に募集するために、ハンガリー医科大学事務局と共同で受入プログラムを開始しました。(2006年9月入学より開始。)これらのプログラムは全て英語での授業で、過去20年間世界中から医学を志す学生を受け入れ、質の高い教育を施し、数多くの医師を輩出してきました。
 このプログラムでは、ハンガリーで医師になった後、日本で医師国家試験を受け、さらに日本でも医師の資格を得るためのサポートを行っていきます。その他に、ハンガリーに残り医師として働く場合、EU諸国に残り医師として働く場合、アメリカに行き医師として働く場合、発展途上国に行き医師として働く場合等、さまざまなケースを考えて、そのサポートを行っていきます。
世界で活躍する医師の養成を目指しています。

(「ハンガリー医学部進学プログラム」(ハンガリー医科大学事務局)より)

というわけで、ちょっと新鮮な、ハンガリー留学情報です。

日本の「海外進学センター」が留学を仲介しているようですので、上記の「事務局」もこちらで業務を代行しているのかな? と想像します。

各メディアにプレスリリースを送っているのでしょう。
↓このように昨年3月頃、集中的に紹介されています。

■「ニュース&パブリシティ」(ハンガリー医科大学事務局)
http://www.jasac.com/med/pb/index.html

これらのリリースでアピールされているのは、

○日本で医学を学ぶのと比べて学費が安いこと
○選抜試験が「書類と面接」であること
○ハンガリーの医療水準が高いこと
○卒業後、国際的な活躍が期待できること

の、4点です。

そして気になる医師免許の受験資格ですが、

「外国の医学部を出た場合、医師国家試験受験資格の有無は個々の単位の修得状況をみて個別に判断される。
ハンガリーの国立大の場合、きちんとカリキュラムをこなしてくれば、受験資格はおそらく得られるだろう。」

(「宮崎日日新聞」記事より)

という厚生労働省の見解が紹介されています。

いかがでしょうか。

これまで、「ハンガリーで医学」という発想はマイスターにはありませんでした。というか、一般的にはなかなか思いつかない選択肢だと思います。
しかし上記のサイトを見ていると、なるほど、そういう道もありかな? と思えてきます。
アドバイザーによるサポート体制などもあるようですし、このプログラムに魅力を感じる方もおられるのではないでしょうか。

実際、「ハンガリー医科大学事務局」のこうした活動は着々と、成果を上げつつあるようです。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「“医者も患者も空を飛ぶ時代”ハンガリー国立大学医学部への出願者数が急増」(プレスリリース)
http://www.koohoo.jp/newsrelease/index.php?page=1&id=215
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日本人学生の受け入れ開始から2年目にして、今年9月の二期生には昨年の2倍以上の52名の入学が決まった。日本の大学にある医学部入学試験の弊害や費用に関する障壁をフォローし、国際的に活躍できる日本人医師を育成する新たな取り組みとして注目されており、今年7月より始まる三期生の出願者数はさらに増えると予想されている。

(略)徐々に知名度を上げているハンガリー国立大学医学部は、

【2006年】 入学者数 21人  出願者数 40人
【2007年】 入学者数 52人 出願者数 78人

と応募者数 (日本からの出願者数) を急増させている。

(上記リリースより)

このように2007年度は、50人以上が実際に入学したとのことです。
ハンガリーという、日本人の間であまりなじみがあるとは言えない国においてこの人数は、立派な成果だと思います。

各種の広報活動や、サポート体制の構築などなど、様々な面においてハンガリーの各大学と日本の「事務局」との連携がうまくいっているのでしょう。
あるいは、時代の中に隠れた要望をうまく掘り起こし、育てられているということかもしれません。

日本の大学が海外に進出する際に、参考になる点もありそうですね。

というわけで今日は、ハンガリーの国立大学医学部と日本の組織がタッグを組んで実行している取り組みをご紹介しました。

マイスターでした。