大学の歴史をアピールしよう!(3):学祖をもうちょっと活用した方がいい?大学

キャンパス巡りが趣味のマイスターです。

歴史のあるキャンパス、
やたら広大なキャンパス、
景観デザインの優れたキャンパス…

タイプは色々ですが、それにしても学び舎の印象って、大事ですよね。
マイスターと同業である大学関係者のみなさまは、仕事やら研修やらで、多くのキャンパスを見ておられると思います。

ところで、今まで訪れた中で、一番印象が強烈に残ったキャンパスはどこか? と聞かれたら、どこと答えますか?

歴史情緒のある、東大の本郷キャンパスや、同志社の今出川キャンパス?
または、広大な北海道大や琉球大のキャンパス?
それとも高層ビルキャンパスですか?

マイスターが、今までで一番感動し、印象に残ったのは、実は

「松下村塾」

なんです。

言ったことのある方ならおわかりでしょうが、何がすごいって、とにかく小さくて狭いんです!

木造瓦葺き平屋建ての小さな建物で、当初からあった8畳の1室と、後に増築したという10畳半の部屋からなっているのですが、建物自体は、当時ならどこにでもあったであろう、なんの変哲もない小さな小屋。

訪れた人々はその狭さに驚き、逆にその後、この小さな私塾が日本の歴史に与えた影響の大きさに思いを馳せるのですね。
マイスターも、ただただ一人の教育者が持つ力に驚くばかりでした。

…と、ここまでは前フリです。

さて、松下村塾で学んだ維新志士には、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋などがいます。
日本人なら一度は聞いたことがある、知っている、という名前ばかりですね。

こうした日本史上のキーマン達と一緒に、松下村塾で吉田松陰に学んだ若者の中には、なんと後に、大学を設立した志士がいるのです。

その大学は、今でも卒業生達を送り出しています。
さて、どこの大学でしょうか?

ご存じですか?

はい、答えは、日本大学でした。

って、超メジャーな大学じゃん!!

■「松下村塾」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%A1%BE

上記のページで、「よく知られている卒業生」として名前を挙げられている中にいる「山田顕義」さんこそ、日大の学祖です。
日本で一番の学生数、卒業生数を誇る大学を作ったのは、幕末の志士だったんですね。

■「山田顕義」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%A1%95%E7%BE%A9

経歴を追っていくと、実は國學院大學の設立者でもあるということがわかります。
(昨日ご紹介した、國學院大學の沿革には、日本大学の名前が出てきます)

東京帝国大学の卒業生や関係者が設立した大学は、たぶん日本中、至る所にあります。
でも、松下村塾を出た維新志士が作った大学なんて、ほとんどありません。

“幕末の維新志士が現代に遺した大学”なんていったら、そりゃすごいことなんじゃないかと、平均的日本人のマイスターなんかは思うのですが、みなさまいかがですか?
(実は松下村塾の卒業生が設立に関わった大学はもう一つあるんですが、それはまた後ほど)

ところがですね。

そのすごさ、あんまり、知られていないような気がするんです。

少なくとも、日大の関係者でない方には、あまり知られていない事実だと思います。

■「大学の概要:学祖 山田顕義」(日本大学)
http://www.nihon-u.ac.jp/info/yamada.html

日大のサイトを見ると、ちゃんと学祖の紹介がされています。
でも正直言って、「松下村塾」「志士」の部分はほとんどクローズアップされていません。日大が「日本法律学校」として誕生したという経緯もあって、「司法大臣」としての経歴が中心になっています。
それはもちろんわかるのですが、志士としての活動をほとんど紹介していないのは、なんだかもったいないです。

正直申し上げて、山田顕義の一般への知名度は、福沢諭吉や大隈重信、新島襄、新渡戸稲造ほどではありません。
お札になった人達と知名度を比べるのはあんまりにしても、大隈重信の経歴なんかと比較してみると、決して見劣りしない大きな活躍をされています。

でも、Googleのヒット数などを見ると、

「大隈重信」約158,000件、
「新島襄」約75,600件、
「山田顕義」約15,400件、

と、他大学の学祖から水をあけられてしまっていますのですね。

この経歴で、かつ94万名の卒業生を世に送り出してきた大学の学祖なら、もっと知られていても良いのにと、マイスターは思うのです。

で、その理由を考えていて思い浮かんだのが、

「そもそも日大の在学生や卒業生が、学祖のことをあまり知らないんじゃないか」

という仮説です。

日大の出身者が友人にたくさんいるので、大学ごとのカルチャーについて話したりするのですが、彼らは学祖のことをあまり知らない、というより、興味がないようです。(ただ日大の付属校出身者は、推薦試験を受ける前になったら一応アタマに入れるんだそうです)

もしかして、日大さんの中では、学祖の話があんまり出てこないのでしょうか。
webサイト上でも、彼の生涯を感じ取れるような詳細な情報はあんまりありませんから、その可能性もありそうです。

「創設者の情報が、在学生や卒業生を束ねるのに、強力な武器となる!」
という考えを大学として持っておられるのだとしたら、もっとアピールするんじゃないかな、と思うのです。
既に関係者である方々の間で認知度が今ひとつなのだとしたら、受験生やその親など、世間の一般生活者がもつイメージは推して知るべしです。

マイスター、実は以前からこのこと、気になっていたのです。
日本大学は、学祖の経歴を今ひとつ生かし切れていないという点で、歴史資産価値の活用もったいない度ナンバーワンの大学だと思います。

そんなわけで、今回は、一つのケーススタディとしてご紹介させて頂きました。

ちなみに、松下村塾で学んだ志士で、大学の創設に関わったもう一人というのは、↓こちらの方です。

■「品川弥二郎」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%BC%A5%E4%BA%8C%E9%83%8E

正確には大学の学祖、ではなくて、前身となった「獨逸学協会学校」の設立者です。
そう、現在の獨協大学です。

■「獨協大学の沿革」(獨協大学)
http://www.dokkyo.ac.jp/daigaku/enkaku/index.htm

上記の「沿革」には、品川弥二郎氏の名前は出てこないのですが、

■獨協大学で学びたい方へ
http://www.dokkyo.ac.jp/manabitai.htm

↑こちらの画面の右コラム欄には、ちゃんと、

この学校は、吉田松陰の愛弟子・品川弥二郎をはじめ、日本の近代化に重要な役割を果たした多くの教育者らに支えられ、発展してきました。

とありました。「大学」の直接の学祖とは言えないということで、このような表現になっているのかな、と思います。

以上、ここしばらくいろんな大学の歴史ページばっかり見ていたおかげで、なんだかウンチク博士みたいになりつつある、マイスターでした。