「早稲田再生」 大学の財務改革ケーススタディ

スーパーで買い物をするのが趣味のマイスターです。

一人暮らしをし始めてから、「生活に必要なものを自分でコントロールする」という楽しみを知りました。
最寄りのスーパーは、さすが港区らしく、マニアックなワインとかチーズとか、各国の缶詰とかが豊富です。
ただ、調子に乗って買いすぎてしまい、カードの請求がえらいことになるのが、いけません。
基本的にカードで買い物をするので、「これは体によさそう」とか、「これは栄養がある」とか、「今セールだから」とか、そんな理由で余計に買い物をしてしまいます。
そんなわけで、ひとり暮らしのくせに、冷蔵庫は常にいっぱいです。
もっと身の丈にあった生活をしなければと、カードの請求が来た時は反省するのですが、「健康的で、かつ、リーズナブル」というバランスをとるのは難しいです。

最近読んだ本をご紹介します。

早稲田再生

ビジネス書コーナーにおいてある、数少ない大学関連本のひとつ。

証券会社の社長であった關昭太郎氏が、早稲田大学前総長の奥島孝康氏に財務担当常任理事として招かれ早稲田大学の財政改革を進めていった、その経緯を紹介している本です。

産業界の出身で、大学の改革に専念して取り組まれた方は、貴重です。
企業人の視点、経営者の視点で、早大のガバナンスの問題、財政の問題、教職員の問題などをズバズバ斬っています。

「大学人」の反発を受けるようなことも少なからず断行しますが、この人は経営者らしく、物事を進める論理が明快です。
マイスターには、この本に書かれていることはどれも非常に理解しやすかったです。

早稲田大学はおそらく、我が国を代表する大学の一つです。
しかしそれは学術レベルや、社会への貢献度、偏差値ランキングの上でのこと。

「組織としての存続力」や、
「自己改革力」や、
「財政の健全度」では、

様々な問題を抱える、病人のような大学であったのです。

少なくとも、民間の証券会社を経営していた關氏には、そう見えたようです。

關氏が財務担当常任理事になった94年当時、早稲田大学の借入金は390億円。
帰属収入額に対する負債額の比率は55%で、有力私立大学13校平均のおよそ3倍。
借入金利息比率は3%。

ほっておいたら、10年後には借金が倍にふくらむという状態です。
誰が見ても危機的状況に間違いなく、このままでは経営破綻も時間の問題という事態に陥っていました。

であるにも関わらず、前任の財務担当理事は

「数年後には膨大な赤字、おそらく1,000億円を超える赤字になりますよ。こんな内容の財政改革の仕事をよく引き受けますね」

……などと他人事のように話すだけで、何の手だても打っていなかった、というのです。

この担当者は、後に学生新聞のインタビューで『財務は後追いですから』と答えている。つまり、財務の仕事は教学に求められた金額を金融機関から調達し、返済することだというのだ。さらに、予算の作成や新規計画の策定に関して発言する権限はないから自分の責任ではない、と弁明したのだ。これでは借金がふえるしかない。借金の額を管理して次代に備えるなどというマネジメントの思想はさらさらなかったのだ。
早稲田再生より)

自分が買いたいものを買うだけ。
みんなが買いたがっているものを買うだけ。
「これは必要だから」という論理だけが通って、お金のことに誰も責任を持たない組織。
そんな状態だったのかな、と、想像します。
それは、いつかやってくる精算の日のことを考えず、問題を先送りしているだけです。

しかしこれは、なんだか、早稲田だけの問題ではないような感じですよね。

これまで大学には「経営」という概念がなかった。
これは、マイスターなんぞが指摘するまでもなく、いまや様々な方から語られるようになった事実です。

誰も責任をとらない割に、権限だけが肥大した組織「教授会」により、

ガバナンスがなく、

経営理念もなく、

ただ古き良き時代の想い出に浸りながら、問題を先送りするだけ、

そんな運営が行われてきていたのです。
(というか、日本の大多数の大学は、おそらく今でもこうして運営されています)

關氏も、苦労した点として、

○スピードが遅い
○しかも大変に遅い
○無駄が猛烈に多い
○既得権益という理屈がまかり通る社会である
○誰も責任をとらない組織体制になっている
○経営感覚がない

などを挙げられています。
關氏の苦労に、うんうん、確かにそこが問題!とうなずくのは、マイスターだけでしょうか?

大学教職員のみなさまなら実感があると思いますが、關氏が指摘する上記のような問題はいずれも、組織内部で長く時間を過ごしている教職員からは

「大学はそういうもんだ」

という「常識」としてとらえられてしまっていることなんです。

マイスターの勤務先もそうですから、よくわかります。
しかし、これは、おかしいことなのです。

大学の常識は世間の非常識。
關氏は、その壁を崩すべく、奮闘します。
大学内で抵抗に遭いながらも、ムダを洗い出し、負債を圧縮し、財務体質を改善させていきます。

また、「社会に対しても、経営状態を開示していくことが必要だ」として、
情報開示の徹底にも力を尽くしています。

關氏が素晴らしいのは、単なる「経費削減魔」ではなくて、
こうして改善された財務を、率先して教学への投資に充てていることです。

借金まみれであったそれまでより、關氏が財務担当になった時期の方が、
はるかに大きな金額を教学に投資している
のですよ。

考えてみれば、ムダな支出を削って、捻出したお金をお客様へのサービス向上のために充てる、というのは、企業の経営の基本です。
ステークホルダーを大切にし、情報開示をして社会からの信用を取り戻すというのも、企業なら当たり前のことです。

企業がとるような手法を用いて、「理想的な教育サービスの実現」を達成しようとしているのが、關氏だとマイスターは思います。

企業から人材を招くと、すぐ「大学の経営は企業とは違う」とか、「儲け主義を持ち込もうとするな」とかいった批判が出てきますが、關氏の取り組みを見ている限り、そうした批判は当てはまりません。

優秀な経営者とは、目的の達成のために最前の手だてを尽くす人のことだと、マイスターは思います。
その人の任務がたまたま「利潤の最大化」であったか、「理想的な教育の実現」であったか、という違いだけです。

長く大学人は、企業の自己改革をやっかむだけで、こうした本当の経営から逃げていたのではないでしょうか。
關氏も本書で指摘していますが、企業はこの10年間、汗を流し、血を流し、涙を流して改革に取り組んできたわけです。
何もしていなかった大学が、ようやく逃げられなくなって、追いつめられてきた、というだけのことなのでしょう。厳しい言葉でいうと、自業自得です。

關氏は、早大だけではなく、日本の大学界すべてに対してもやはり、本の中でたびたび厳しい指摘を行っています。

高等教育の組織やシステムは、古いもの、旧態依然として変わらないものに手をつけないまま泰然自若としていた。呑気な話である。
 早稲田大学を含めすべての高等教育機関は、護送船団方式と既得権益を維持しながら、自ら変わろうという努力をしない組織、まさに旧世代の遺物である。このような遺物は、これからの若い世代に持ち込んではならない。大学は、顧客である学生から選別される立場になっている。人件費や諸経費を削減しても、財源を捻出して学生に対するサービスを充実させていかなければならない
早稲田再生より)

最終的に、早大は、劇的な財務改善に成功します。
絶望的で、誰もがさじを投げてしまうような状態だった94年と比べると、マイスターのような財務のシロウトから見ても、雲泥の差です。

経営者が違うだけでここまで変わるのか、ここまで問題が解決できるのか、と、世の大学人は驚くと思います。
時代のせいとか、少子化のせいとか、国のせいとかにしている場合ではない、早大の改革は、そう私達に気づかせてくれます。

現在關氏は、一橋大学、およびお茶の水大学の経営協議会委員も務めています。
こうしたビジネスマインドの風を、さらに大学の世界に入れてくれることを期待します。

また、こうした改革に取り組んできた経験から、關氏は、「ユニバーシティ・ガバナンス」の確立が必要だ、と言います。

關氏のように説得力ある功績を残している方に続けるのはおこがましいのですが、
マイスターもこの「大学の組織ガバナンス」こそが、大学を、ひいては日本を改革していくために避けて通れない問題だといつも思っています。

この本は、そんな大学ガバナンスの非常識を指摘しているという点で、大学人すべてにお薦めしたい本です。

もちろん財務の担当者だったり、経営に対して発言権をお持ちの方にとっては、さらに有意義で具体的、実践的な知見が得られることと思います。

最後に。

この本には

「財の独立なくして学の独立なし」

という副題がついています。

よく知られる早稲田大学のミッション「学問の独立」を意識したのだと思いますが、シンプルでありながら、現在の大学の問題をよく表している言葉ではないでしょうか。

日本の大学に、確固たる「経営」が宿る日は、いつ来るのか。

まだ自分では何の権限も持っていませんが、早くその日が来るよう、できることをしていきたいと思うマイスターでした。