文系、理系という分け方の弊害

大学に勤めていますが、自分が理系だか文系だかよくわからないマイスターです。

ときにみなさん、この理系、文系って分け方、どうなんですかね?

【教育関連ニュース】——————————————–

■「【データ】文系理系の転向は困難 全国9大学調査」(毎日新聞 MSNニュース掲載)

http://www.mainichi.co.jp/life/kyoiku/edumail/archive/data/200506/24-02.html
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えー、ちょっと前のニュースなのですが、いつかご紹介したいと思っていました。

最近、カタい記事が続いたのですが、これは自分の体験もあわせてイメージしやすいのではないかと思います。

マイスターは、

高校は理系コースです。

大学は、理工学部です。

大学院は、文系…?です。

職場の仕事は、理系でも文系でもありません。

さて、一体自分は文系なのか? 理系なのか?

正しい日本人なら(?)、
自分が「文系」であるか、「理系」であるか、大半の方はいちおう答えられることになっているようです。

大学で学ぶ学問は本来、単純に文・理に二分できるものではないのですが、
高校の時点で、ほとんどの方は

「あなたは文系、理系、どっちに進むの?」

と、一度は聞かれているからです。

大抵の普通科高校は、2年生か3年生の段階で生徒を文、理のコースに分けますよね。

マイスターの場合、高校は「国立理系コース」とかいうコースでした。

「国立」というとなんだか賢そうですが、実のところは、
数学の成績があまりにもひどく、
国語と歴史で点のほとんどを稼いでいるような生徒だったので、
私立に行くより国立を目指す方が、勝算がありそうだった…というだけの話です。

じゃあ、文系に行け、と、あなたはつっこむかも知れない。

しかし、高校生の時のマイスターは、どうしても「建築家」になりたかったのです。

だって、かっこいいじゃないですか、建築家。

デザインセンスも求められる。
デッサンなんかも描いちゃう。
かつ歴史や宗教学について詳しかったり、
「生活ってこういうことじゃないのかな」なんて熱く語れちゃったり。
でも、同時に頼れる「生活者の味方」でもある…。

くぅ~っ!(笑)

というわけで、マイスター青年は、どうしても建築家になりたかった。
建築家になって、「センスいいね」とか、ちやほやされたかった…。
(も、もちろん、純粋に建築学が面白そうだった、というのが一番の理由ですよ)

というわけで、センセイや周りの友人、大人に聞きました。
また、代○ミや○合塾の「大学ランキング」を見ました。

すると、どうも「建築学科」というのは、工学部や理工学部にあるらしいとわかりました。

しかし、工学部つったら、理系やがな。
そんなん、行けへん行けへん。

マイスター青年は、そう自分につっこみました。

なにしろ、その後理系コースに進学した後、数学の先生から「文転」を勧められたほど、数学ギライだったマイスター青年です。

模試を受けるたび、機械で打ち出された診断結果に「おまえは文系に行け」と忠告されていたマイスター青年です。

実を言うと、未だに、log関数とか、よくわかってません。

でも、建築を学びたい。

その一点に賭けて、(仕方なく)理系コースに行ったのです。

※実を言うと、西洋発祥の建築学というのは本来、人文学系列の学問です。
 欧米では、「Human Arts」の学部の中に、Architectureの文字が入っています。
 マイスター青年、日本の建築教育を呪いました…。
 (まぁ、地震国家なのでしょうがないという意見もありますが、それにしても、
  設計分野の専門家になるのに、三次関数や等比級数なんて要らない…。
  むしろ世界史に詳しい方が、実際は設計の上で有効でした)

 しかも後に知ったのですが、実はその時点で、数は少ないながらも欧米のように
 人文学系の視点で建築学を教える大学が、あったのです。

 でも、高校の教員は、

 「あー、建築なら理系。工学部へGO!」

 という程度の知識しか持ち合わせていなかったので、
 不遇なマイスター青年は、理系コースに追いやられたのでした。

 あぁ、かわいそうなマイスター。
 あのとき、建築の知識のある教員がいれば、
 マイスターの大学生活は、かなり変わっていたはずです。

 少なくとも、想い出の男女比率は激変していたに違いありません(笑)。

そんなわけで、なんとか理工学部に進学して、なんとか無事に建築学科を卒業しました。

もちろん、エンジニアリング系統の単位は、必要最低限しかとってません。
歴史とか、計画とか、設計とかばっかり勉強していました。
でも、ちゃんと卒業できましたし、建築士試験の受験資格も持っています。
自分なりの「建築学」は構築できたと思っています。

で、ハードの計画や使われ方について勉強しているうちに、3年生あたりからだんだんとソフト面のことにのめり込みはじめ、気づいたら文系の大学院に進学していました。

というわけで、晴れて、「文転」です。
このあたりから、「正しい日本の大学生」のコースから外れ始めます。

で、行った先がまた、文系か理系か、不明な大学院です。

文系って言っていいのかも、よくわかりません。
「○○学研究科」のように、学問別に作られた大学院ではなかったのです。
わかりやすい言葉を使うと「学際系」ですが、この言葉も、しっくりきません。
(だって、学際系、って説明になってない!とか思いません?)

マイスターは、アメリカの「チャータースクール」というシステムについて、ガバナンス形成と、建築計画学的な環境形成の関わりを調べる、みたいな研究をやっていました。

ね、これ、理系でも文系でもないですわ。

「いや、そりゃ文系だ」
とか判定できる人がいたら連れてこーい!というくらい、文理がごちゃごちゃになった研究でした。

社会科学系の知識がかなり必要になりましたが、卒業した理工学部ではそんな授業は全然なかったので、大学院でかなり講義を受けることになりました。

で、マイスター、この頃ようやくわかりました。

文系だ、理系だ、っていう分け方は、ぜんぜん意味がない。

というよりむしろ、弊害の方が大きい。

だって大抵の学問は、100%文系、100%理系という分け方、できないじゃん。

よく言われるのは、経済学部ですよね。
経済学部って、「ザ・文系の進路」と思われてます。
実際、数学が苦手で文系コースを選んだ学生が、山ほど入学します。
でもね、経済学つーたら、建築学よりはるかに数学必要です。間違いありません。

高校の時点で全国一律に生徒を、文系、理系なんて画一的に分けるのは、世界でもおそらく日本だけです。
ちゃんと調べたことはありませんが、こんな例、聞いたことがありません。

アメリカのリベラルアーツ・カレッジなんかですと、

「私はここで数学とジャズ音楽を学んでいるわ」
「僕はバイオとイギリス文学を専攻しているよ。最近は映画ビジネスにも興味があるんだ」

なんて学生がいます。むぅ、アメリカン。
日本流の「文or理」という思考回路に染まりきった私たちからみるともう、こやつら理解不能です。

でも、「学びたい!」という学生の関心を最優先すれば、こういう「自分次第で何でも学べる」大学になるのですよ、
もちろんこうした大学では、数学にしても、音楽にしても、初歩の初歩から教えてくれるサポート体制が充実していることは言うまでもありません。

結局、日本みたいに、高校の時点で、

「文系? 理系? どっち??」

なんて二者択一を迫るから、おかしくなるのですよね。

なんでこんな分け方、してるんでしょう。

それは当然、大学がこぞって入試科目に、

「数学、理科、英語」
   or
「国語、社会、英語」

という、「理系パック」「文系パック」を採用しているからですよね。

そりゃあ、なるべく多くの生徒を、なるべく多くの大学に進学させたいんだったら、高校側は生徒を理系と文系の2通りに分けるわ。
高校にとっては、都合がいい制度です。

冒頭でご紹介した記事でも、

「政府は『高校教育の個性化・多様化』と言うが、学校現場では、限られた教員、授業時数の中で効率良く受験に対応するためのカリキュラムが編成される結果を招いている」(冒頭の毎日新聞記事より)

と指摘されています。

また生徒にしても、「おれ、数学苦手だから文系~♪」なんて、逃げ道を作れます。
楽して大学に行きたい生徒にとっては、かなり良い制度です。
(そのおかげで、「分数ができない大学生」が大量に…)

マイスターも、数学から逃げられるなら逃げたかったのですが、上述したような受験上の理由で、仕方なく数学をやるハメになりました。
今、それは役に立っています。結果オーライです。
本来は、数学も国語も世界史も、文理問わず、勉強すべきなんだと知りました。

それに、大学もこうして学生を「文・理」の枠にあてはめることで、きっとかなり楽してます。

たとえば理系の単科大学に、「なんたら経営学」とか、「なんたら史」みたいな文系の授業がほとんどなくても、あんまり文句言う人、いないでしょ?

ほかにもあります。
未だに語学が「ドイツ語」「フランス語」「ロシア語」の3つだけだとしても、理工系大学だったら、まぁしょうがないかと納得しちゃいませんか?

でもね、本来なら理工系のエンジニアには中国語どころか、韓国語、インドネシア語、スペイン語、アラビア語くらい選択肢があった方がいいんです。
いや、むしろエンジニアだからこそ、必要です。

だって、実際にこれからの日本のエンジニアには、そうした地域での仕事が出てくるんですから。
銀行や出版社に勤めるより、エンジニアになる方が、こうした言語を使う確率は高いと思います。
(むしろドイツ語やフランス語は、明治時代に海外の進んだ学問を輸入するために必要だった言葉であって、これから学ぶ意義は、100年前に比べればかなり薄れてきているんですからね)

ね、「ここは理系の大学で、自分は理系の学生だから」って思っていると、専門以外のところで手を抜かれていても、不思議に思わないでしょう?

見栄えのよさげな実験施設さえあれば、十分だと思ってしまいませんか?
本当は、でかい実験施設なんて学生の授業ではほとんど使わないのにねぇ。

逆のパターンで、ちょっと前まではコンピューターが全然ない文学部とか法学部とかが少なからずありました。
文系だから、計算機などは不要だろうという論理でした。

こうした教育上の手抜きがみんな、「文系・理系」という、学問的には全然意味のない根拠の上に、気づかれないようにそーっと行われているのですよ。

以上、何が言いたいかというと、
マイスターのように

「おれは文系でも理系でもないんだぁぁぁ」

アイデンティティーの喪失に悩んでいじける不幸な人をこれ以上増やさないためにも、
また、大学で、自分の興味関心にあった学びを学生が行えるようにするためにも、

文系・理系という分け方はもうやめませんか、ということなのです。
社会的にも絶対、いろいろロスしてますって。

(マイスターはどうも周囲から「おまえは文系でも理系でもない半端者」という見られ方をされているようです。いわゆる「赤魔導士現象」(=どちらも極めようとした結果、どっちも中途半端になってしまう現象)を起こした例ということになってます…orz)

さしあたっては、先陣を切って東大さんに、「文科一類」「理科一類」みたいなあのようわからん名称を撤廃していただきたい(笑)。

学類の枠を超えた学部進学を少しずつ認めようという試みをしているようですから(例:理科一類から文学部へ進学するなど、すべての科類からどの学部にも進学できる進学枠が18年度から設けられるそうです)、いっそもう、文・理の枠を全部とっちゃえとっちゃえ。

おそらく東大の教育がモデルになったであろう、
明治以来の「文系、理系」という分け方、考え方を、
そろそろいい加減に見直さないといけないんじゃないかと思うのですよ。

今日も、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

1 個のコメント

  • こんにちは、はじめまして。
    >高校の時点で全国一律に生徒を、文系、理系なんて画一的に分けるのは、世界でもおそらく日本だけです。
    あ、いえ中、韓、仏も高校から文系、理系にクラス分けします。
    黄著「1990年代以降の中国高等教育の改革と課題」,広島大学高等教育研究開発センター,2005年3月
    朝鮮日報オンライン 2011/4/17記事「韓国の高校で理系人気が復活」
    文科省HP 中央教育審議会 教育振興基本計画特別部会 > (第8回)議事録・配付資料 > 参考5 > 第2編 第3節 フランス