京都・時代祭の行列 大学生アルバイトの減少を報じる記事から感じたこと

マイスターです。

「大学生」というのは、社会から色々な見られ方をしているのだな……と、あれこれ考えてしまう記事を見つけましたので、ご紹介したいと思います。

【今日の大学関連ニュース】
■「学生の応募激減なぜ 京都時代祭の行列バイト異変」(Asahi.com)

歴史絵巻を思わせる華麗な装束行列で知られる京都の時代祭の「足元」で異変が起きている。行列の担い手となるアルバイト学生の応募が激減し、主催者が地域でボランティアを募る試みも始まった。講義への出席を重視する大学の方針や学生気質の変化が理由のようだが、「学生の街ならではの伝統がすたれるのは寂しい」との声も上がる。
113年前にスタートした時代祭は、約2千人が時代ごとに行列をつくって都大路を練り歩く。今年も22日に開催される。
戦前は、荷物を持って付き従う役などに近郊の労働者が雇われたが、戦後は学生がアルバイトで参加するようになった。8時間半ほどで日当6700円。主催者の平安講社が毎年10月初旬になると、京都、同志社、立命館など地元の大学に募集掲示を出し、約600人が応募してきた。
ところが、数年前から変化が見え始めた。かつては「応募が始まると、窓口に行列ができた」(同志社大)ほどだったが、祭りの直前まで定員に満たないようになった。
講社本部の場合、昨年は求人150人に対し応募は祭りの3日前でやっと約80人。あわてて三重県の皇学館大学などにも応援を仰ぎ、ようやく人手をそろえた。今年は例年より早く9月下旬からに募集を始め、今月17日現在で本部では110人にこぎつけたが、「応募は求人の6割程度」(京都大)という所も。
人気低落の理由はさまざまだ。最近は大学が欠席に厳しくなったことや、アルバイトの多様化を挙げる声が多い。京都大で募集掲示を見ていた3回生の赤星翔太さん(21)は「僕は大抵情報誌でバイトを探す。掲示に気づかない人も多いのでは」と話す。
学生に頼らず、地域で祭りを支える動きも出てきた。北区や上京区の住民でつくる「平安講社第1社」は5月頃から、平安期の公卿(くぎょう)の姿を再現した「延暦文官参朝列」を担うボランティアを募集。地域や地元企業に声をかけたところ、「ぜひやってみたい」などと希望する人が相次ぎ、必要な計32人が集まった。
(略)葵祭や時代祭の運営にかかわってきた猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(70)は「時代祭が市民参加型になるのはいいことだが、祭りのアルバイトは単なる金稼ぎではなく、京都で青春を過ごした思い出になる。これからも学生に参加してほしい」と話す。
(上記記事より)

時代祭というのは、平安神宮の創建、および平安遷都1100年祭を奉祝する行事として明治28年に始まったという祭りです。
時代祭の詳細については、↓こちらをご覧下さい。

■「時代祭由緒」(平安神宮)

さて、この時代祭の目玉となるのが、約二千人が参加するという、大規模な行列です。

■「時代祭行列」(平安神宮)

↑こちらで行列の写真、およびその内容が紹介されていますが、確かに美しく雅びで、しかも京都の歴史をみんなで楽しく追っていける、とても素敵な行事のようです。
このように、市民が楽しめる粋な取り組みが毎年行われているというあたりが、さすが京都だと思います。

で。

この二千人の行列の中で、およそ600人程度を占めていたのが、大学生のアルバイト。
……だったのですが、そのアルバイトが、今、なかなか集まらないというわけです。

マイスターが興味を持ったのは、この記事で紹介されている、「大学生が祭りに参加しないのは寂しい」、「学生の街ならではの伝統がすたれる」といった意見。
記事全体の論調を見ても、なんとなく、

<現代っ子である若い学生達が、京都の伝統を支える構成員になりたがらなくなっている=寂しい世の中だ>

……みたいなストーリーが、記事全体を通じて、かもし出されているように個人的には感じられたのですが、いかがでしょうか。

自分だけなのかも知れませんが、マイスターはこの記事のいろんなところに、ちょっとひっかかってしまいました。

例えばこの記事では、大学生が集まらない理由として、「講義への出席を重視する大学の方針」や「学生気質の変化」を挙げています。
でも実際にはそんなところよりも、単に「アルバイト情報誌の方が、大学の掲示板よりもアルバイトを探すためのメディアとして力を持った」、という単純な要因の方が大きいんじゃないかという気もします。

また、地域の方々のボランティアで祭りを運営する動きが出てきたのであれば、それはむしろ良い動きなのではないかとも思います。(「学生のアルバイトが減った」という部分よりも、むしろそちらの方に焦点を当てた記事にすれば良かったのでは)

そして何よりも、これって、そもそも大学生をアテにすること自体に無理がある話のように思います。

今年の時代祭は10月22日の水曜日。後期ど真ん中の平日ですから、大学は当然、授業を行っています。
で、先ほどの「時代祭由緒」を見ると、「行列進発」は12:00で、終わりは夕方頃。衣装などを着て、スタート前の祭事に出席するとなると、午前中、それなりに早い時間から準備のために現地にいなければならないでしょう。
つまり時代祭行列に参加するのであれば、その日の授業はすべて欠席しなければならないわけです。

学生の仕事は学業なのですから、学生が授業を欠席しないと成り立たないような計画にはもともと、無理があります。おそらく、参加したくても授業があるから行けない、と考えている学生だって少なくないでしょう。

冒頭の記事ではそこがあまり指摘されていませんので、
「大学生が授業をさぼらなくなった結果、京都の伝統が失われるかも知れない。残念だ」
……とだけ言っているように読めてしまうのです。

実際には、学生が授業を大事にするようになったのなら、むしろ評価されて然るべきところ。
「京都時代祭の行列バイト異変」というタイトルですが、異変と呼ぶようなことではないような。

この辺りから、日本における「大学生」の位置づけがわかります。

例えば、高校生も大学生も勉学を本業としている点では同じですが、「授業に出ないで祭りに参加する高校生が減ったのは残念だ」……なんて、果たしてメディアは論じるでしょうか。

日本では、「大学生は授業に出るよりも、授業をさぼってバイトなどで社会経験を積む方がいい」という持論を持っている人が、今でも少なくありません(欧米の人が聞いたら驚きそうですが)。
この記事も、そんな社会的な通念(?)があるから成り立っているのではないでしょうか。
昨今ではそんな見方も変わってきたのかなと思っておりましたが、どうやらまだ根強いみたいですね。

マイスターは冒頭の記事を読んで、そんなことをあれこれと考えさせられました。

ちなみにマイスター自身は、学生が祭りに参加するのは、良いことだと思います。
せっかく京都で学んでいるのだから、こんな素敵な機会を逃す手はありません。

だからこそ、マイスターなら、「授業をさぼらないと参加できないという状況」を変える方法はないだろうかと考えたいです。

もともと祭りというのは、国家が公的に定めたものではなく、地域の人達が自分達でつくりあげるもの。本来なら地域の人達が、それこそ仕事の手を止めてでも準備を行ったものでしょう。
時代祭は京都市民がずっとつくってきた祭りであり、大学もその地域の一員なのだから、休講にして積極的に参加させてもいいんじゃないか……なんて、例えば思ったりします。

講義の回数を減らさずにそれをやろうとするなら、長期休みを短くしたり、補講を徹底したりするしかありません。調整は面倒でしょうが、でも、そんな風にして休講を実現させ、

「本学の学生諸君はこの京都で学んでいるのだから、ぜひ時代祭に参加し、千年の歴史を自分で感じてきてみて欲しい」

……なんて言える大学があったら、とっても粋で、京都らしいなぁと思うのですが、いかがでしょうか。
その場合はアルバイトではなく、大学が学生ボランティアを組織してもいいくらいです。

まぁ、そんな方法が実現されるかどうかは別として、とりあえずお祭りに参加しない学生が増えたのは、学生気質のせいだけではないんじゃないかな、と思います。

以上、マイスターでした。

※この記事は、現役高校生のための予備校「早稲田塾」在籍当時、早稲田塾webサイト上に掲載したものです。

2 件のコメント

  • 何も授業を全学休講にしなくても、時代祭を日曜祝日に開催すればいいだけのこと。学生だけじゃなくて多くの会社員もボランティアで参加できます。

  • 祭りが確かに学生という多くの若い力によって支えられている面はあるのです。以前は先輩~後輩へサークル単位でクチコミされたりしたモノですが…アルバイト雑誌に求人を載せる、日付を土曜にずらすといった努力が要るでしょうね。
    千年の都には柔軟性も必要です。