マイスターです。

一年ほど前に、世間で話題になった出来事がありました。
群馬大学医学部の入試を受験した50代の主婦が不合格になったのですが、「年齢が理由になったのではないか」という疑惑があるというものでした。

この出来事の概要については、↓こちらの記事が整理されていてわかりやすいです。

■「群馬大・不合格訴訟:大学側の裁量どこまで あす地裁判決 /群馬」(毎日新聞 Yahoo!NEWS掲載)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061026-00000090-mailo-l10


さて、先日、その判決が出ました。

結果から言うと、原告である主婦の方の請求は棄却されました。

これについて、関連するニュースをご紹介します。


【教育関連ニュース】-----------------------------------------

■「『高齢』で?群馬大医学部不合格、主婦の入学請求棄却」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061027i102.htm

■「『年齢の壁』に阻まれた夢 56歳主婦敗訴の波紋は?」(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061028/mng_____tokuho__000.shtml

■「大学は開示すべき 面接情報」(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/00/gnm/20061028/lcl_____gnm_____001.shtml

■「『何歳でも挑める社会を』『不合格なぜ』疑問ぬぐえず」()
http://www.chunichi.co.jp/00/gnm/20061028/lcl_____gnm_____000.shtml

■「群馬大・不合格訴訟:「理由は年齢しかない」 挑戦の機会、与えられる社会に/東京」(毎日新聞 Yahoo!NEWS掲載)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061028-00000062-mailo-l13
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最大の争点は実際に年齢による差別があったのか。

しかし実際に「差別があったかどうか」について、原告の主張はことごとく退けられる形となった。

裁判を通し佐藤さんが最も知りたかったのは、面接試験が合否判定にどのように使われているかだが、これについても何一つ明らかにならなかった。

■手持ちの情報 出さぬ大学側

群馬大学医学部の入試では、筆記試験(センター試験と個別試験、小論文)に面接と調査書を加えた「総合的な判断」によって合否判定が下される。逆にこのうち一つでも「著しく不良のものがある場合は不合格もありうる」と入試要項には書かれている。

筆記試験で合格者平均を十点以上も上回っていた佐藤さんは、面接で「著しく不良」とされた以外、不合格の理由は思いつかない。そのため面接ではどのようなチェック項目があり、どう点数化されているのか開示を求めたが、大学側は「今後の入試に影響を及ぼす」として応じなかった。

さらに入試担当者から「医師を社会に貢献させる使命が国立大学にあり、十年かけて育成しても社会に貢献できるか、あなたの年齢が問題となる」と自分の不合格理由に高年齢が挙げられたと主張したが、判決は「証拠がない」としてこの発言を認定しなかった。

佐藤さんは「大学側が面接の情報開示をしなかったため、差別の実態が立証できなかった」と悔しがる。

原告代理人の新井弘治弁護士も「大学側が手持ちの情報を出してこなかった。佐藤さんが持っている証拠は、(年齢差別を受けたという)自分の経験以外にないのだから、公的機関である大学は積極的に情報を出すべきだった」と話した。

この日の判決は、佐藤さん個人にかかわるだけでなく、高齢化社会における雇用のあり方を占うものとして注目された。これから“超”少子高齢化社会に入っていく日本にあって、高齢者の意欲と能力を引き出せるかどうかは、社会の活力に直結するからだ。しかし判決は「年齢の壁」とともに「司法の壁」の高さをも思い知らせるものだった。
(「『年齢の壁』に阻まれた夢 56歳主婦敗訴の波紋は?(東京新聞)」より)
この通り、この裁判のキーポイントは、

「本当に年齢が理由で落としたの?
 それとも、違う理由だったの?」


……という点にあったのです。

もし前者であれば、これは大きな問題です。
群馬大学は、公式webサイトなどで「年齢を理由に不合格にすることはありません」と明言していますから、それが嘘だったということになります。

ちなみにちょっと脱線しますが、報道の中の
同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。(「『高齢』で?群馬大医学部不合格、主婦の入学請求棄却」(読売オンライン)より)
という一文について。どういう議論を経てこの言葉が発せられたのか知らないので、裁判長の真意はわからないのですが、今回の裁判結果には、本来ここは関係ないはずです。
なぜなら、50代でも医師に必要な「体力・気力」を持っている人はいるかもしれないし、20代でも持っていない人は持っていないかもしれない。体力測定の結果を願書に添付させでもしたのであれば話はわかるが、そういうことはされていないからです。
群馬大学が「50代だから、体力と気力に問題があるなぁ」と判断したのであれば、それこそ年齢差別ですよね。
個人的には「医師には知力・体力・気力が必要」という大学の主張はわからなくもありませんが、主観的な印象で体力を推測されたりしたら、受験する側にとってはたまったものではありません。

話を戻します。
そんなわけで今回の裁判は、受験者の合格が認められるかどうかを争うものであると同時に、群馬大学が年齢差別をするような組織であるかどうかを明らかにする裁判でもあったのです。

しかし結局、今回の裁判では「大学が年齢差別したのか否か」という点については、何もわからないままに終わりました。
年齢差別をした可能性は残るが、大学が「やってない」と主張したら誰もそれを覆せない、ということを意味する判決となりました。

ですので、やっぱりどこか、不透明感は残るなと思います。
むしろ、よりいっそうグレーになったような印象すらあります。
◇肩透かし感がある−−一橋大法学研究科の高橋滋教授(行政法)
 大学入試などの合否に裁判所が立ち入れるかどうかは難しい面がある。今回は判例・通説を踏まえた判決だ。ただ、審理の過程で入試の詳細な資料を持つ大学側が面接結果などの証拠を開示するか、もしくは裁判所が要求しても良かったのではないか。原告の立証不足を指摘して訴えを退けているが「肩透かし感」がある判決と言える。

◇拒否理由を明確に−−早稲田大法務研究科の戸波江二教授(憲法)
 年齢が不合格に影響したと推認でき、社会的責任を帯びる国立大学の手続きとしては適正でない。医学部の目的が医師の育成にあるとしても、高齢者の教育を受ける権利を侵害してはならないはずだ。判決は「年齢を理由とする入学拒否とは認められない」としているが、ならば裁判で理由をもっと明確にすべきだった。

◇妥当な判決−−小林時雄・群馬大学生受入課長
 大学の主張を認めた妥当な判決。合否は全教授で審議し、学長が決めるもので通常、恣意(しい)的な判断をする余地はない。今回のケースは、電話対応した担当者が原告に誤解を与えてしまったもので、入試方法に問題があるという認識はない。これからも公正な入試に努めたい。
(「群馬大・不合格訴訟:「理由は年齢しかない」 挑戦の機会、与えられる社会に /東京」より)
大学側が持つ、評価や採点の権利が脅かされるのは問題です。しかし、社会からの疑問に対して回答する義務や責任がないのかと言うと、それはちょっと違うと思います。上記の法学者のお二方はそのあたりに言及されているのではないかなとマイスターは思います。

ところで、群馬大学学生受入課の課長様は上記のように、電話対応から生まれた誤解だったとコメントされています。
しかし実は以前マイスターは、この群馬大学学生受入課に質問のメールをお送りし、見事な肩すかしを食らった経験がありますので、どうもこの方のお言葉に説得力を感じないのです。

・群馬大学医学部: 学生受入課広報担当者からの回答
http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50087386.html


裁判になった今回のケースだけ誤解ある対応をしてしまったのではなくて、もともと日常的にこういう対応をしている組織なのではないではないか、と推察します。
あんまり、その場しのぎで体裁を取り繕うだけの対応を繰り返していると、いつか本当に信頼を失いますよ、と申し上げたいと思います。

ついでに申し上げますと、「合否は全教授で審議」という説明も不透明感を残すものです。というのは、全教授が審議したからといって、年齢差別をしていないということにはならないからです。「審議の結果、どのような点が問題にされたか」を世間はいま聞いているわけで、「教授が審議したんだから客観的で正しいはずだ」という説明はいかがなものでしょうか。群馬大学では、こういう論理で学内が動いているのかも知れませんが、社会は違います。



さて、裁判所の結果は、法律に基づいた判断によるものですから、それはそれで一つの決着です。ただそれとは別に今回の裁判では、「社会に対して大学がどう説明を行うか」という点も問われていたように思われます。「今後、社会がその大学をどう判断していくか」という点についても、今後影響を及ぼすのではないでしょうか。

こういったことが繰り返されると、「学びたい!」という気持ちを持つ世の多くの人々は、大学に対して不信の目を向けるのではないかな、と心配です。

大学の入学判断のすべてを明かすことはできないでしょうし、またその必要もないと思います。しかし、「あなたは、こういう判断で落ちたんです。でもここがクリアされたら、ぜひ本学で学んでいただきたいと思います。ぜひ、来年もチャレンジしてください」という説明くらいは、社会に対する責任として、行うべきではないのかなとも思います。
大学の入学試験というのは、そういう主旨のものではないかとマイスターは考えます。

以上、マイスターでした。

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